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柴田敬三(しばたけいぞう) ㈱ほんの木(代表取締役・編集者) 「ほんの木」は、1986年設立の市民派・オルタナティブ(代案提示型)の小出版社。 現在、0~7歳児の親のための本「子どもたちの幸せな未来」シリーズ(隔月刊・年6冊発行)や、代替療法の本「自然治癒力を高める」シリーズ(年4回刊)を発行。 また、環境、エコロジー、NGO、ボランティア、障害者福祉、人権、民主主義、有機農業、ジャーナリズムなどのジャンルの出版物を発行してきました。詳しくは小社HPか、『売れない本にもドラマがある』(柴田敬三・著)をご覧ください。 また、市民派出版物は、なかなかメジャーに売れないため、オーガニック雑貨や健康改善の漢方入浴剤などの商品の通販&卸も手がけています。 shibata@honnoki.co.jp ほんの木 柴田敬三の 「集まれ!世直しブログ」 *コメント、TBは大歓迎ですが、当方の一方的判断で掲載を控えることもあります。ワガママ勝手、独善的ブログですみません。 以前の記事
2009年 06月2009年 04月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 最新のトラックバック
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1 No.142 自動車免許と同じに、インターネットも年齢制限を
何度も書きます、ケータイ、インターネットのこと。
もしかして、どっかから、ヤイのヤイのといういやがらせ(そう見えない内容の)が、 ケイタイ、パソコン、ネット、ゲーム擁護論の立場から入るだろう…と思いつつ。 小中学生のインターネット(この場合、ケイタイもパソコンも)をどうするかという問題です。 例えば、自動車の免許って、なぜあるのでしょう? 原付オートバイが16歳から。普通免許で18歳からとなっています。 (私、免許持ってませんが) これは明らかに、車の事故の危険を想定した法的判断です。 車が人を殺傷しうる道具という考えなのでしょう。あるいは人は判断を誤るという。 しかも免許はたいてい誰でも取れています。一定条件満たせば。 ではなぜ、インターネットという、匿名を前提とした、いじめ等で人の心を傷つけたり、自殺に至らしめたり、かつ、自殺の方法すら公開し、連鎖反応を生させうる道具に対し、年齢制限がないのでしょうか? 免許が不要なのでしょうか。犯罪や事件は無数に発生しています。 言論の自由の問題があるから、インターネットは誰にも子どもにも使える道具でなければならない、という理由が、もっともらしい理由のようです。 が、私の印象では、金儲けのビジネスを制約されたくないという、 いわゆる拝金企業とその大人、そしてグローバル化が理由だと思うのです。 つまり、インターネット犯罪を防ぎたかったら、親が気をつけろ。 フィルタリングを子供に説得しなさいと。道具は作る、インフラ作る、ソフトも作る。 金儲け放題。グローバル化。 でも、犯罪は個人のせい、使う人間の判断といって逃げています。 今の世界の常識は公害は発生責任。製造責任です。 環境問題や公害と同じに考えるなら、使ってる人間の責任のはずがありません。 作った、儲けてる企業の責任です。 私はインターネットは、年齢制限にすべきと考えます。小中学生は原則使用禁止。 強く主張します。金儲け主義より、人間性を大切にする方が、グローバリゼーションだろうが、経済が停滞しようが、世界の競争にとり残されようが優先させるべきだからです。 子供の人生、未来を守りましょう。 ■
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by alternative-edu
| 2008-06-10 14:47
No.141 日本人のアイデンティティって何ですか?
小学校での英語教育に関する記事が、この所新聞紙上にふえてきています。
お気付きでしょうか? それも、否定的記事より、成功事例を含めて、おおむね肯定的記事です。 私はようやく、素直になってきたな?と感じます。 つまり、日本語教育との対比で感情的に語られるのではなく、英語は英語として、私はグローバル時代には最も重要な、日本が将来、世界で生きるための道具だという認識です。 国語も大事、英語も大事。 両方を、しっかり身につける教育が21世紀の日本の生きる智恵です。 恐らく、早晩、この上に北京語を学ぶ人も増えるでしょう。その上、多様なその他の言語も。 しかし、国語教育の中で、今なお、漢文と古典があるのはなぜなのでしょうか? この辺は私、理解できません。選択科目でよいと思います。 無理やり茶道を習わせるような気がするからです。 その上、英語は、受験科目からはずしてもよいのでは? とさえ思います。 つまり、受験用の英語でなく、TOEFLやTOIECを受け、 それを受験資格、評価対象にすればよい、と私は考えます。 ともあれ、感情論で日本のアイデンティティ、伝統文化、国語教育を語るのでなく、 現実に目を向け、未来志向で、あと30年~50年~100年先、 世界と日本がどうなるだろうか? の推論の中から、教育を考える時です。 日本人としてのアイデンティティをとやかく言う人も沢山います。 私が、日本バイリンガル論を持ち出すと、必ず反論されます。 でも、日本人としてのアイデンティティって何でしょう? 1人1人の人間としてのアイデンティティこそ大切で、人種や国籍は別の問題です。 (あるとしたら、日本国憲法と民主主義です) 私は、個こそ基本で、個の自立の集合体が国だと考えています。 ■
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by alternative-edu
| 2008-06-02 14:42
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